出典
はじめに
  • 30種類に近い癌に対して90種類以上の標的癌治療薬が開発されてきたが、そのほとんどは、癌原遺伝子の機能獲得変異を標的とする低分子や抗体である。一方で、癌抑制遺伝子の機能喪失変異を標的とする抗癌剤の開発は遅々として進まなかった。
  • また、癌原遺伝子または癌抑制遺伝子の変異に他の遺伝子の変異が加わると細胞死に至る合成致死の機構を利用した抗癌剤開発も進まなかった。これは、ハイスループットそしてまたは偽陽性に埋もれない合成致死遺伝子スクリーニング技術が存在しなかったためである。
抗癌剤開発における合成致死への関心
  • ケンブリッジ大学のSteve Jackson等が1997年に設立したKuDOS Pharmaceuticals (2005年にAstraZenecaが買収)が開発したPARP阻害剤オラパリブ(olaparib)が、2014年に米国FDAと欧州EMAに認可されたこと、加えて、CRISPR技術により効率的で比較的高精度な合成致死遺伝子スクリーニングが可能になったことから、改めて、合成致死抗癌剤への関心が高まってきた。
  • 機能喪失変異を直接標的にする戦略は、ミスフォールドや一部が欠損したタンパク質、低発現またはノックアウトされたタンパク質を標的という壁に直面することになるが、合成致死の機構を利用することでこの壁を乗り越えることができる。
  • DNA損傷修復タンパク質であり癌抑制タンパク質であるBRCA1とBRCA2の変異を帯びた癌細胞はその存在を他のDNA損傷修復タンパク質PARPに依存し、したがって、PARPの機能喪失によって細胞死に至る。オラパリブはこの合成致死の機構を利用した分子標的薬であり、今の所、唯一の合成致死・迅速承認薬である。
合成致死遺伝子の網羅的探索
  • BRCAとPARPの合成致死の関係をきっかけとして、2000年代に入ってからRNAiを利用した合成致死ペアのスクリーニングが盛んに試みられた。すなわち、野生型(正常)な細胞とそれに対して癌特有の変異遺伝子を帯びた細胞それぞれについて、RNAi技術によってゲノムワイドの数千遺伝子の発現に干渉し、細胞死をもたらしたRNAi標的遺伝子を同定する。
  • RNAiによる合成致死スクリーニングは、RNAiにおけるオフターゲット作用による偽陽性に悩まされることになったが、2017年7月に、RNAiによる合成致死・ゲノムワイド・スクリーニングの成果が報告された(2017/08/06ブログ記事 癌細胞必須遺伝子リスト(Cell誌掲載2報))。
  • RNAiによる合成致死スクリーニングの可能性が示されたが、CRISPR技術の出現をもって、より簡便でより高い信頼性(再現性)の合成致死スクリーニングが可能になった。さらに、合成致死スクリーニングのほとんどは癌細胞株を利用して行われているが、酵母、線虫、ショウジョウバエなどのモデル生物から得られる遺伝子ネットワークに基づく合成致死スクリーニングも提案されている(Nature Reviews Genetics 26 June 2017)。
現状
  • 合成致死創薬の標的を公表している例は少ない中で、Repare TherapeuticsとArtios Pharmaは、BRCAやPARPとは異なる機序のDNA損傷修復タンパク質polymerase-θ (POLQ) に注目している。POLQは正常細胞では抑制されていることからPOLQを組み合わせた合成致死の安全性を期待できる。
  • また、Mission Therapeuticsは、脱ユビキチン化酵素阻害を介したDNA損傷修復制御を模索し、AgiosとMetabomedは、合成致死スクリーニングを利用して癌細胞の代謝経路と腫瘍微小環境における標的探索を進めている。Tangoは、特定の癌患者に共通な変異遺伝子を巡る合成致死スクリーニングや、抗癌剤の併用療法の新たなコンビネーション探索にCRISPRノックアウトスクリーニングを進めている。