出典
  • [COMMENT] The ethics of experimenting with human brain tissue. Farahany NA, Greely HT, Hyman S, Koch C, Grady C, Pașca SP, Sestan N, Arlotta P, Bernat JL, Ting J, Lunshof JE, Iyer EPR, Hyun I, Capestany BH, Church GM, Huang H, Song H. Nature. 2018 Apr;556(7702):429-432. (Nature Biotechnology ツイート参照*)
背景
  • 神経変性疾患や精神疾患の研究に基づいてモデル動物で開発・評価された療法のほとんどが、ヒトでは奏功しない状況で、脳オルガノイドの研究が加速し、部分的であるにせよヒトの脳の発生過程や構造と機能をより精密に再現する脳オルガノイドが現実になった。例えば、2018年4月16日には、成体マウスの脳に移植したヒト脳オルガノイドが成熟・定着したとする論文がNature Biotechnologyに発表された。
  • ヒト脳のオルガノイド作出からキメラ・モデル動物まで開発が進み始めた今、ヒト脳サロゲート (brain surrogates)を巡る研究のガイドラインの議論を急ぐべきである。2017年にデューク大学で開催されたワークショップなどをふまえて、デューク大学の法哲学教授のNita A. Farahanyをはじめとする17名の識者がNature誌オンラインにて、brain surrogatesの3クラスについて紹介した上で、ガイドライン整備に向けて研究者、研究資金提供者、研究倫理審査委員ならびに一般社会が議論すべき課題を提案した。
安全なサロゲート (safe surrogates)の3クラス

人々に危険を及ぼさずヒト脳の機序解明の基盤となりえるサロゲートには、オルガノイド、ex vivo脳組織、キメラの3クラスが存在する。

オルガノイド
  • 多能性幹細胞から特定の神経細胞に限らず脳の特定の領域に相当する3次元オルガノイドへと分化発生させること、さらに、脳オルガノイドを‘brain assembloids’へと融合させて領域間の神経回路形成と細胞間相互作用を研究することも可能になってきた
  • 3次元オルガノイドであれば脳の発生過程を追跡することも可能になる。すでに脳オルガノイドを利用した自閉スペクトラム症や統合失調症あるいは出生前にZikaウイルスの感染した患者における脳神経発生の研究が始まっている。
  • 脳オルガノイドには現時点で、ミクログリアや血管形成細胞が欠けていることや、これまでで最大のオルガノイドでも極めてサイズが小さく細胞数も少なく (~4mm, 200~300万個)、シグナルの入力や他の領域との結合が初歩的であるといった限界があり、脳オルガノイドが意識や感情といった高次機能を獲得することは極めて遠い話ではあるが、脳オルガノイドの技術はさらに進んでいく。
Ex vivo脳組織
  • 脳手術の際にヒト脳から切除された組織切片は、すでに1世紀以上脳研究の実験材料として利用されてきたが、脳組織の機能をex vivoで維持する技術や可視化技術の進歩によって、機能している脳組織における脳回路の3次元マップ構築やトランスクリプミクス、光遺伝学によるニューロン活性化などが可能になり、脳研究の資源として新たな価値が生まれた (参照 ALLEN BRAIN ATLAS)。一方で、シグナルの入出力機能を備えていないex vivo脳組織が脳の高次機能を獲得する可能性は、オルガノイド以上に殆どない。
キメラ
  • これまでに、ヒト・グリア細胞のマウスへの移植とその効果の解析が試みられ、ヒト幹細胞をブタ初期胚に注入し代理母ブタにて妊娠初期まで発生させ得た150個のキメラ胚においてヒトの胚と肝臓の前駆細胞の存在が確認され、パーキンソン病のヒト-マウスキメラも開発され、本記事冒頭にあるようなヒト脳オルガノイドに基づいたキメラマウスも作出されている。
考察しておくべき課題

必要性
  • Ex vivo (体外)で行われるヒト組織を対象とする研究に対する規制やガイドラインの対象は現在、組織の獲得、維持、共有および同定とされている。脳サロゲートのサイズがより大きくなり構造や機能がより洗練されると、脳サロゲートがヒトに近い感覚、知覚、記憶能力を備え、さらには、自意識さえ持つ可能性を否定できなくなってくる。
倫理的基準となる'意識’の測り方 (metrics)
  • 近年、意識に相関した脳活動の研究が進み、脳波検査によって成人における意識と無意識の指標となるシグナルが同定されているが、脳サロゲートにおける意識の状態を判定するに必要なシグナルの同定・定義のためには、意識自体の理解とその分子機序の解明が必要である。
  • キメラモデルの場合は動物福祉の観点から基準作りが急がれる。
曖昧になるヒトと動物の境界
  • ラットの膵臓を持ったマウスが作出され、ヒト臓器を持った動物の作出も時間の問題である。ブタにおけるヒト心臓形成は受け入れられるとして、マウスやブタにおいて血管形成したヒト脳オルガノイドや成長するヒト神経組織はどうだろうか?
  • ヒトに近すぎる (‘too human-like’)モデル動物の領域で、どのようなキメラまたはどのような器官の作出が受容可能かを個別に判断していくことになるのか?
脳死の定義
  • 1950年代の人工呼吸法 (気道陽圧換気法)と1960年代の心肺蘇生法の発明を経て、脳の機能が完全かつ非可逆的に失われた状態として脳死が定義された。新たな医療技術の発明が、脳機能が完全に失われたという定義や非可逆的の定義を曖昧にし、脳死の診断を難しくする可能性を秘めている。
インフォームド・コンセント
  • ヒト脳の細胞や組織を利用した研究や、iPSCsからの脳サロゲート開発にあたっては、細胞や組織のドナーに、これまでのインフォームド・コンセントよりは、利用目的をより明確にする必要がある。
所有権と代理人 (保護者)
  • 脳組織試料の所有権は現在、組織を獲得し研究に使用している研究者または研究機関とされているが、そのままで良いであろうか?
  • 脳サロゲートやキメラの'福祉'を意識せざるを得ない時が来るのではなかろうか?その場合は、代理人制度が必要になるのではないか?
研究終了後の取り扱い
  • 現在、脳オルガノイドもex vivo脳組織も他の組織と同様のプロトコルで廃棄され、モデルマウスも廃棄される。一方で、チンパンジーのように実験終了後サンクチャリーで一生を終える実験動物も存在する。ヒト脳オルガノイドが高次機能を獲得するに至ったキメラマウスに適合したプロトコルは?
データの取り扱い
  • 脳サロゲートを利用した研究からのデータの利用については、個人遺伝情報の取り扱いと同様に、他の科学特有のガイドラインが必要か?
生命倫理
  • 米国のBRAIN Initiative欧州のHuman Brain Projectにおいて、神経科学の進歩を踏まえた生命倫理の議論が行われ報告も出されてきたが、脳サロゲートを視野に入れた再考が必要である。脳サロゲートの開発が始まったばかりのこの時に脳サロゲート研究に関わる生命倫理の枠組みを構築してこそ、関連研究の長期的な成功と社会的受容を達成できる。
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関連ツイート
  • (*)Nature Biotechnology ツイート
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