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2023-08-16 遺族の訴訟は続く
[出典] "Family of Henrietta Lacks files new lawsuit over cells harvested without her consent" Skene L. The Associated Press. Updated 7:54 AM JST, 2023-08-11. https://apnews.com/article/henrietta-lacks-cells-new-lawsuit-baaeb5d88387edd61d795befcf614721
 遺族側の弁護士は、サーモフィッシャーサイエンティフィック社に続いて、Ultragenyx社を訴えた。訴状によると、Ultragenyx社は、HeLa細胞の由来が明らかになった後も、遺伝子治療製品の開発にHeLa細胞を使用し続けることで [*]巨万の富を築いたという。遺族側の弁護士は、「HeLa細胞を利用した人種差別的医療システムから報酬を得続けている様々な団体に対し、一連の訴訟を起こす予定である。... 黒人の苦しみは、正当な補償や認識なしに、数え切れないほどの医学の進歩や利益をもたらしてきた」と述べている。
[*] 後にHeLa細胞と呼ばれることになる細胞を含む組織が採取され、結果的に不死化細胞が樹立されたが、細胞の採取と利用は、その時点では、違法ではなかったと、されている。

2023-08-09 Science 誌の関連ScienceInsider記事の書誌情報と、ScienceAlert Nature の記事にはなかった内容の一部を以下に追記:[出典] SCIENCEINSIDER "What does the historic settlement won by Henrietta Lacks’s family mean for others?" Wadman M. Science 2023-08-07. https://doi.org/10.1126/science.adk1834 
 ヘンリエッタ・ラックスの遺族は、サーモフィッシャーサイエンティフィック社に対し、彼女の細胞の使用によって「不当に利益を得た (unjustly enriched)」とする訴訟で和解した。 
 ScienceInsiderはこの結果について、20年前、死亡した子供の細胞 [*1]をめぐる「不当利得」訴訟で家族の代理人を務めた、Chicago-Kent College of Lawの法律家Lori Andrews弁護士の見解を尋ねた。
[*1] その細胞は、希少で致命的な遺伝性疾患であるカナバン病の検査に利用されるようになった。
  • (HeLa細胞の訴訟で、遺族の弁護団は、医師が彼女の癌細胞を使用する許可を得なかったのは、当時ヒトの研究に蔓延していた根深い人種差別を反映していると主張した)。訴状で雄弁に主張された根深い人種差別 (deep-seated recism) が、勝因と考える。
  • また、この和解は、過去数十年間における、患者に自分の組織の所有権を与えようとする流れを反映している、と考える。例えば、米国医師会の倫理規定では、医師は提供された組織を商品化する場合、患者の許可を得るべきであり、その利益は患者と共有すべきであるとされている。
 記事はこの後、ScienceinsiderとAndrewsの以下のQ&Aが続く。
  • Q:不当利得とは?
  • Q:カナバン病訴訟と、HeLa細胞の訴訟の違いは?
  • Q:自分の細胞、あるいはその親族の細胞から、研究者や企業が利益を得た後で、不当利得を主張する妨げとなるものは何か?
  • Q: HeLa細胞の訴訟では、インフォームド・コンセントが為されなかったという非倫理性も主張された。最新のインフォームド・コンセントの書式は、非倫理性を払拭するに十分なのか?
  • Q: 広く使われている細胞株で、非倫理的に入手されたものが他にもある。例えば、WI-38細胞株は、1962年に合法的な中絶を行ったスウェーデン人女性の胎児から採取されたが、彼女は、数ヵ月後に研究者たちが彼女の病歴を収集しに来るまで、そのことを知らなかった [*2]。そしてその細胞は、今日までメルク社とテバ社によってワクチン製造に使用されている。この女性は現在93歳。先週の和解は、彼女が訴訟を起こす可能性を示唆しているのだろうか?:[*2] 正常ヒト細胞株WI-38の光と影. (舩田昌子  訳) Nature ダイジェスト Vol. 10 No.9 -https://doi.org/10.1038/ndigest.2013.130924;"Cell division" Wadman M. Nature 2013-06-27  https://doi.org/10.1038/498422a
2023-08-08 Nature 誌の関連News記事の書誌情報と、今回の訴訟と和解が将来の臨床サンプルの扱いに及ぼす影響などの部分を以下に追記[出典] ”How the ‘groundbreaking’ Henrietta Lacks settlement could change research" Ota A, Lehharo M. Nature 2023-08-03/04 https://doi.org/10.1038/d41586-023-02479-8

 2020年の人種的正義 (racial justice) をめぐる抗議を受け、メリーランド州チェビーチェイスにあるハワード・ヒューズ医学研究所 (HHMI)  は、"The Immortal Life of Henrietta Lacks "の著者Rebecca Sklootが設立したHenrietta Lacks Foundation (財団)への6桁の寄付を発表した。同財団は、合意に基づかない医学研究によって被害を受けた個人や家族への支援を目的としている。

 HHMIのこの行動は、UCSDの細胞生物学者、Samara Reck-Petersonの研究室が独自に寄付しようとしたことが契機となっている。HHMIの研究者でもあるReck-PetersonはHeLa細胞の研究利用にあたって、ヘンリエッタの遺族と会うべきと考え、その結果、「ヘンリエッタの遺族らは祖母と曾祖母の細胞によって成し遂げられた科学を極めて誇りに思っており、HeLa細胞をベースにした研究を止めることは全く望んでいませんでした」と述べた。研究室は、すでにHeLa細胞から作成した細胞株と、今後作成する細胞株に関連する寄付を行うことにした。

今後の展望

 サーモ・フィッシャー社の和解は、この種のものとしては初めてのものである。

 ラックス家の代理人を務める弁護士の一人、Christopher Ayersは、他の訴訟も続く可能性があることを示唆している:「HeLa細胞の非倫理的で違法な起源を知りながら、その不正を利用して利益を得ようとする企業は他にもある。そのような企業に対して、私たちは訴訟を起こします」。Ayersは一方で、「ヘンリエッタの細胞が採取された状況は特殊であり、この和解が、研究における『医療廃棄物 (medical waste)』の使用に関わる他の案件には当てはまらないかもしれない」「自発的に組織や細胞を提供した人々による訴訟への門戸が開かれることはないでしょう」、と言う。

 他の専門家達によると、この和解は、人々の組織やその他の生物学的標本を研究に使用することに関する幅広い議論が必要なことを示唆している。。アラバマ州Tuskegee大学の生命倫理学者であるStephen Sodekeは、「医学研究に使用される人体組織の多くは、手術中に廃棄される医療廃棄物であるが、たとえ患者が手術に同意していたとしても、そこから得られた細胞の使用を許可するか否かを決定する法的権利は患者が持つべき」、と言う。

 Lewis-Burke Associates の科学政策専門家Carrie Wolinetzによれば、現在でも、ある人から採取された細胞株やその他のサンプルが、その個人と関連付けられないように匿名化され、その人に知られることなく医学上の大発見につながるというシナリオはあり得る。このような事態を避けるためには、「患者が自分の細胞をより広範囲に使用することに同意できるようなシステムを構築する必要ががある。また、研究者は、金銭的なインセンティブを設けて、そうでなければ提供しないようなサンプルを提供させようとする行為は避けたい」、と言う。

 サーモ・フィッシャー社との和解が、生物学的標本から利益を得ている他の企業にとってどのような意味を持つかについては、「たとえ自社が標本を採取していなかったとしても、その標本がいかに倫理的に入手されたものであるかについてのデューデリジェンス (due intelligence) を行う責任がある」、とLouisiana State University Lawの法律専門家Caprice Robertsは言う。

2023-08-07 引用文献の2と3の入れ違いを修正しました。
[出典] "Who Was Henrietta Lacks? In 1951 Her Cells Were Taken, And Changed Medicine Forever" MacDonald F (ジャーナリスト; CEO). ScienceAlert 2023-08-02. https://www.sciencealert.com/who-was-henrietta-lacks-in-1951-her-cells-were-taken-and-changed-medicine-forever"Henrietta Lacks' Family Reach a Settlement Over Her Stolen 'Immortal' Cell Line" Agence France-Presse. ScienceAlert 2023-08-02. https://www.sciencealert.com/henrietta-lacks-family-reach-a-settlement-over-her-stolen-immortal-cell-line

 無断採取から70年余りが過ぎた2023年8月1日、ヘンリエッタ・ラックス (Henrietta Lacks) の遺族は、サーモ・フィッシャー・サイエンティフィック社との間で、ラックスの名前の頭文字をとってHeLa細胞と呼ばれてきた細胞の商業利用をめぐる和解にようやく達した:
  • 葉タバコ農業に従事していたアフリカ系アメリカ人のヘンリエッタ・ラックスは1951年10月4日に31歳で子宮頸癌で亡くなった。
  • ジョンズ・ホプキンス病院で治療中に、子宮頸部の癌組織と正常組織から2種類のサンプルが無断で採取され、また、それを知らされることも無かった。
  • サンプルを入手したGeorge Otto Geyは、ヘンリヘッタ・ラックス (Henrietta Lacks) の子宮頸癌細胞が一部不死であることを発見し、HeLa細胞と命名した。
  • その後、HeLa細胞は医学研究の資源として広く利用され、今日に至るまで数々の発見と発明のベースとななり、HeLa細胞が関わる特許が、ほぼ11,000件成立している。また、2023年8月時点で、HeLa細胞は541ドルで販売されている (ATCC CCL-2<TM>)。
  • その間、1973年に、HeLa細胞の遺伝子地図を作ろうとした研究者が、適切なインフォームド・コンセントを行わずに遺族から採血した [*1]。
  • 2010年にRebecca Sklootの著書 "The Immortal Life of Henrietta Lacks "が刊行されて、遺族は、始めてHeLa細胞の経緯を知った。
  • 2013年にHeLa細胞のゲノムデータが、遺族の了解を得ずに発表されたが、8月になって、ゲノムデータの条件付き開示について研究者と遺族が合意に達した [*1]
  • 2021年に公民権弁護士Ben Crumpが遺族を代表して訴訟を起こした。
 無断採取されて以来70年余り、ヘンリエッタの遺族は彼女の"寄付"に対して補償されることはなかったが、2023年に至って、HeLa細胞の商業利用について、サーモ・フィッシャー・サイエンティフィック社との合意が成立した (合意条件は非公開)。
 
 ヘンリエッターの組織を採取していたジョンズ・ホプキンス病院は、「HeLa細胞は研究者ヘ無償で提供し、HeLa細胞の発見や分与から利益を得たことはなく、HeLa細胞になんらの権利も有していない。また、奨学金、地元の学校との関わり、年次シンポジウムなど、ヘンリエッタ・ラックスを認識し顕彰するために、過去10年間にわたりラックス家の複数のメンバーと緊密に協力してきた」と表明している [*2]

[crisp_bio注] HeLa細胞については、各国の研究室で利用されてきたHeLa細胞が実は「まがいものであった」ということが話題になっている [*3]

 [*] 引用記事
  1. "Deal done over HeLa cell line" Callaway E. Nature 2013-08-08;"HeLa細胞株をめぐる和解への道" 船田晶子 (訳). Nature ダイジェスト Vol. 10 No. 11. 
  2. "The Legacy of Henrietta Lacks" Johns Hopkins Medicine (Webサイト). 
  3. 2019-02-21 HeLaの亡霊:研究室間の不均一性をマルチオミックスで検証;"Multi-omic measurements of heterogeneity in HeLa cells across laboratories" Liu Y, Mi Y, Mueller T, Kreibich S [..] Aebersold R. Nat Biotechnol. 2019-02-18;2018-06-04 HeLaの亡霊:流通している培養細胞株におけるコンタミネーションと変異の問題
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