- 予防接種の安全性と有効性に故意に誤解を与える行為をする医師に対して、規制当局は座視したままで良いのか
[出典] COMMENTARY "Vaccine disinformation from medical professionals—a case for action from regulatory bodies?" Grimes DR, Greenhalgh T. J Eval Clin Pract. 2024-03-21. https://doi.org/10.1111/jep.13985 [所属] School of Medicine (Trinity College Dublin), Nuffield Department of Primary Care Health Sciences (U Oxford)
新型コロナウイルス感染症COVID-19 は、科学と公衆衛生に関する広範なコミュニケーションがTwitter (現 X)、Facebook、YouTubeなどのプラットフォーム上で発生した最初の「デジタルパンデミック」でもあった。感染症対策にポジティブなこともネガティブなことも、かってない速度と規模で世界中に広がった。
多くの医師や科学者がプラットフォームを利用して正確で慎重なアドバイスを提供する一方で、少数の医師や科学者がソーシャルメディアを動員して膨大な視聴者を獲得し、 数千万人の視聴者を持つポッドキャストや人気のYouTubeチャンネルに出演し、専門家としての権威があるかのごとく、裏付けのない主張を大勢の視聴者に伝えた。
2021年、デジタルヘイト対策センター (Centre for Countering Digital Hate: CCDH) は、オンラインで共有されたすべてのCOVID-19に関する誤った情報 (misinformation)の65%が、ソーシャルメディア上のわずか12人に由来していることを追跡し、そのうち半数は、資格のある医師であったと、発表した。CCDHはまた、「反ワクチン産業は、少なくとも3,600万ドルの年間売上を誇り、ソーシャルメディア企業は11億ドルの価値に相当する6,200万人のフォロワーを維持している。反ワクチンはビッグビジネスであり、偽情報で命を奪う」。
本ブログ記事では、文末に、David Robert Grimes博士の著書と、COMMENATARYの構成を付したが、主として、論文にとりあげられていた「偽情報」の6事例を紹介する:
- 1989年、デンマークの医師Uffe Ranskov博士は、ゲンマーク語で"Kolesterolmyten" (コレステロール神話) を出版し、コレステロール値が高いことが健康に有害であるという証拠はなく、コレステロールを低下させる薬のリスクは益よりも害をもたらすと主張し、さらに、この主張をインターネット上で広く宣伝し、著書は多くの言語に翻訳された。自説に都合のよいエビデンスを選択していると批判されている。
- 1990年代、南アフリカのムベキ (Thabo Mbeki) 政府は、UC Berkeleyの分子・細胞生物学教授であるPeter Duesbergの「エイズは薬物や抗レトロウイルス薬の長期摂取によって引き起こされ、『HIV』として知られるレトロウイルスは無害なパッセンジャーウイルスであるる」という意見を取り入れ、エイズ否定主義に走り、その政策が 撤回されるまでに推定34万3,000人に回避できたはずの死をもたらした。
- 1998年、英国の消化器が専門であったAndrew Wakefieldは、麻疹・おたふく風邪・風の混合ワクチン (MMRワクチン)を自閉症に関連づけた論文を発表した。このため、特に英国において、小児期の重要な予防接種を拒否したり遅らせたりするような家庭が広がり、英国で麻疹感染が拡大するに至った。Wakefieldが主導したキャンペーンにより、英国でのMMRワクチンの接種率が92%から78.9%へと低下し、2006年3月には14年ぶりに麻疹により少年が死亡する事案も発生し、その有害な遺産は数十年にわたり残り続けている。
2006年に、WakefieldはMMRワクチン被害の訴訟に関わる弁護士から、~44万ポンド (現在の為替レートで=8,400万円)を供与され、また、WakefieldのLancet 論文の査読者の一人にも4万ポンドが供与されていたことが、英国The Sunday Timesの調査報道 ["MMR doctor given legal aid thousands" Deear B. The Sunday Times 2006-12-31]で明らかにされ、論文は2010年に撤回された。Wakefieldは英国医事審議会 (General Medical Council: GMC) によって医師登録を抹消されたが、これ は研究不正が理由であり、ワクチンに関する偽情報の意図的な拡散によって引き起こされた公衆衛生への長期的な損害が理由ではなかった。Wakefield'信仰'は従来のマスメディ アを通じて広まったが、ソーシャルメディア上で広がる現代の「デジタルパンデミック」の先駆けと言える。 - 2012年、デンマークの疫学者であるPeter Gøtzsche教授が "Mammography Screening: Truth, Lies and Controversy" を出版し、マンモグラフィーによる乳癌検診は、益よりも害をもたらすと主張した。 2013年には、"Deadly Medicines and Organised Crime: How Big Pharma Has Corruption Healthcare"を出版し、抗うつ剤を含むいくつかの事例を用いて、医薬品は過剰に処方され、多くの場合、益よりも害をもたらすと主張した。2020年、"Vaccines: Truth, Lies and Controversies"を出版し、多くのワクチンの害とワクチンプログラムその機会費用がワクチンの益を上回ると主張した。さらに、2022年にはCOVID-19ワクチンの害に関するシステマティック・レビューをmedRxiv に投稿したが、プレプリントに止まっている。しかし、医薬品やワクチンによる害を強調するGøtzscheの活動は、科学に思わぬ重要な貢献をしたのである。ランダム化比較試験 (Randomized controlled trial)において、有効性と共に安全性も厳密に評価する方法論の重要性が広く明確に認識されたのである。[crisp_bio 注] しかし、少なからぬ人々が、厳密に行われたランダム化比較試験の結果よりも、それに反する個人的な経験や、'聞いた話'、を信じるようだ。
- 2021年、アメリカの循環器専門の医師であるPeter A. McCullough博士は、COVID-19のイベルメクチンとヒドロキシクロロキンを宣伝し、テキサス州の上院でCOVID-19ワクチンの害について演説した。McCullougは、COVID-19ワクチンが膨大な数の死亡の原因であると主張し、ソーシャルメディア上で著名になり、彼はJoe Roganのポッドキャストや他の場でもこの主張を繰り返した。2023年7月、プレプリントの中で、COVIDによる死亡の74%はワクチンによるものだと主張したが、これはすぐに撤回された。SSRNというプレプリントサーバへの投稿を、一流の医学雑誌であるLancet掲載論文と偽っていたこともあった。2022年10月、米国内科学会は、ワクチン偽情報を広め、虚偽の記述を訂正することを拒否したため、認定医資格を取り消すよう勧告した。
- 2021年、英国のコンサルタント外科医であるMr. Mohammed Adilは、COVID-19パンデミックはデマであると主張する動画をソーシャルメディアに投稿し始めた。これらの動画の中には、COVID-19ワクチンは、必要であれば強制的に投与され、世界の人口をコントロールするために使用されると主張するものもあった。
2022年6月、GMCにより任命された医師審判所は、アディル氏がこれらのビデオを通じて、英国の医師としての地位を利用し、公衆衛生と医療専門職に対する国民の信頼を損ねたと認定した。アディル氏は医師登録を6ヶ月間停止された。アディル氏はこの判決を不服として控訴したが、2023年4月、高等法院はこの判決を支持した。これは、GMCが医師の表現の自由に対する権利に制限を加え、そのような表現に対して制裁を加えることができる範囲を検討するよう法廷に求められた、英国初のケースであった。
HPVワクチンは日本では2010年から公費助成が開始され、2013年4月には定期接種が開始された。しかし接種後の慢性疼痛、運動障害などの症状が報告され (これ自体は偽情報では無かった)、大々的に報道されたこともあり、一般社会でワクチンに対する安全性の懸念が高まり、わずか2ヶ月後に積極的勧奨が中止され、接種率が1%まで低下した。
したがって、ワクチン接種による集団免疫が成立していかない中で、子宮頸癌による死亡が抑制されないまま時が過ぎ去っていった [*1]。一方で、 例えば、オーストラリアではHPVワクチンの接種を女性はもとより男性にも積極的に推奨し、その結果、1985年の時点では、子宮頸癌の年齢調整死亡率 (人口10万人あたり)が日本の~2.0人を上回る~3.5人であったが、1990年代後半には日本を下回り、2015年にはほぼ1人までに低下した。その間、2018年に、「オーストラリアでは~20年後 (すなわち2038年)には子宮頸癌死がほぼゼロになるだろう」とする論文がLancet Public Health誌から発表 [*2]された。その予測は現実になりそうだ。
ワクチンや薬剤の承認については、有効性と安全性のせめぎ合いを避けて通ることができない。客観的で厳密な試験結果に基づくファクトが、歪められることなく伝えられることが、それらの有効利用に欠かせない。
[*1] 子宮頸がんとその他のヒトパピローマウイルス (HPV)関連がんの予防ファクトシート 2023公開. 国立がん研究センター. 2023-06-02.
[*2] "The projected timeframe until cervical cancer elimination in Australia: a modelling study" Hall MT et al. Lancet Public Health. 2018-10-02.
[COMMENTARYは, 医薬や公衆衛生に貢献した事例も紹介している]
ポリオ生ワクチンに警鐘を鳴らしたHarold Graning博士とRobert Dyar博士、サリドマイドの催奇形作用を論文で明らかにしたオーストラリアのWilliam McBride博士、サラセミア患者に試用されていた鉄キレート剤の有効性低下と重篤な副作用を指摘したカナダの血液学者Nancy Olivieri教授、抗肥満薬メディエーターの重篤な副作用を指摘し、製造業者に有罪判決をもたらすに至ったフランスの胸部外科医Irene Frachon博士、有効性に欠け、有害な汚染物質を含む規格外の小児癌治療薬に警鐘を鳴らしたブラジルの小児癌専門医Silvia Branalise教授。
[David Robert Grimes博士の著書と書評]
- 不合理な霊長類:なぜ私たちは偽情報、陰謀論、プロパガンダに騙されるのか?:"The Irrational Ape: Why We Fall for Disinformation, Conspiracy Theory and Propaganda"
- Richrad Dawkinsのレビュー「ワクチン反対派 (anti-vaxxers)からダニング=クルーガー効果まで、ホメオパシーや占星術から「偽のバランス (false balance) 」まで、誤用された統計から核の瀬戸際外交まで、私たちの不合理性 (irrationality)は私たちの破滅を招きかねない。不合理性を暴き、私たちの振る舞いを改めようとする本は、とかく上から目線で説教臭くなりがちであるが、本書は、著者のストーリーテリングの巧みさによって、読み出したら止まらない本になっている。もし私たちの指導者たちがこの本を読めば、世界はもっと安全な場所になるだろう。
[COMMENTARYの構成]
1 はじめに
2 医師、偽情報、そして公衆の信頼
3 医師の偽情報は深刻な被害をもたらす
4 権利と責任のバランス
ボックス1
医薬品やワクチンについて公に発言した医師の例
医薬品やワクチンによる深刻な危害について早期に懸念を表明した医師
医薬品やワクチンに関する主流ではない見解を公表した医師
医薬品やワクチンについて公に発言し、規制当局の措置につながった医師
5 偽情報への対応
ボックス2 想定シナリオと規制当局の可能性
6 完全な問題解決にはならないが、規制当局が積極的に対処することが重要である
医師に対する規制措置は、一般市民の間で高まる反ワクチン感情という複雑な問題を解決するものではない。しかし、調査によって適切であると判断された場合、規制当局からの警告は、医師が不適切な行動を取ったと判断されたという明確なシグナルを公衆に送ることになり、視聴者のリーチを制限し、潜在的な被害を軽減するのに役立つ。
このことは、医療インフルエンサーが膨大なリーチを持ち、ソーシャルメディア企業がそのプラットフォーム上で流布する誤った情報からの収益に動機づけられる可能性がある現在において、特に重要である。規制当局が医師の行動を監視し規制するために存在することを考えると、このような場合、規制当局が行動する倫理的・法的要件が存在する可能性がある。
規制当局のメンバーによる誤った情報の伝播に対して、公的かつ断固とした態度で臨むことで、規制当局は自らの信頼性を維持するとともに、医学・医療に対する社会の信頼を高めることができる。
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