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論文・記事紹介:CRISPR生物学・技術開発・応用 (ゲノム工学, エピゲノム工学, 代謝工学/遺伝子治療, 分子診断/進化, がん, 免疫, 老化, 育種 - 結果的に生物が関わる全分野); タンパク質工学;情報資源・生物資源;新型コロナウイルスの起源・ワクチン・後遺症;研究公正

 RAS遺伝子(HRAS、NRAS、KRAS)の活性化変異は、ヒトがんにおいて最も頻度の高い発がんドライバー遺伝子として知られている。これらの遺伝子は長年にわたりアンドラッガブル(創薬不可能)と考えられていた。その中で、ここ数年の進歩により、KRAS(G12C)およびKRAS(G12D)変異体に対しては、直接作用する薬剤の臨床開発が進み、耐容用量での治療効果が期待されている。一方で、メラノーマにおいて2番目に頻度の高い発がんドライバー遺伝子であるNRAS(Q61*)変異体(*は「任意」を意味する)を標的とする臨床薬剤は存在しない。こうした未だアンドラッガブルなRAS変異体に対しては一般的に、RASと協働して発がんに寄与するタンパク質複合体を標的とするアプローチに可能性がある。

 RAS-ERK経路と呼ばれるシグナル伝達ネットワークの阻害は、悪性腫瘍の進行にこの経路が関与していることから、長年がん研究の焦点となってきた。経路の上流にある調節タンパク質や、ERKおよびRAFファミリータンパク質などの下流エフェクターを標的とする方向にシフトしている。重要な調節因子の1つがSMP(SHOC2-MRAS-PP1C)と呼ばれるタンパク質複合体で、自己阻害部位からリン酸基を除去することでRAFの活性化を促進する。その重要性にもかかわらず、SMP複合体は潜在的な治療標的として浮上したのはつい最近のことであったが、ケンブリッジとバーゼルのNovartis BioMedical Researchが今回、SMP複合体の形成を阻害できる有望な化合物を発見したと発表した。

[詳細]

SHOC2のこれまでの理解

 SMP複合体において、SHOC2はPP1C(タンパク質ホスファターゼ1の触媒サブユニット)と、低分子GTPaseと呼ばれる酵素の一種であるMRASを橋渡しする足場として機能する。MRASは、他のRASファミリーメンバーと同様に、GTP分子に結合すると活性になり、GDPに結合すると不活性になる分子スイッチとして機能すると考えられている。生化学的および構造的研究により、SMPの形成機構が明らかになり、活性化されたMRASが3つの部分からなるSMP複合体の形成を促進する上で中心的な役割を果たすことが示された。MRASは、エフェクター結合インターフェース(具体的にはスイッチ1およびスイッチ2領域)を介して、SHOC2のアミノ酸残基ロイシンの反復配列(ロイシンリッチリピート、LRR)を多数含む領域によって形成される平坦な表面と相互作用することで、SHOC2と結合する。

 これらの研究から、HRAS、KRAS、NRASといった他のRASファミリータンパク質がMRASの代わりにSMP様複合体を形成する可能性があることが示された。次に、大規模遺伝子スクリーニング解析により、HRAS、KRAS、またはNRASに変異を持つ複数のがん細胞株が、生存においてSHOC2に特異的に依存することが明らかになった。

 MRASは当初、SMP複合体の中心的な構成要素と考えられており、また、RAS症候群として知られる発達障害群においても、そのパートナーであるSHOC2やPP1Cと共に変異が認められていた。しかし、近年のエビデンスでは、MRASがSHOC2複合体の形成に必須であること、さらにはGTP結合によって活性化される能力についても疑問が投げかけられていた。

今回の成果

 CRISPR KOスクリーンDepMapCancer Dependency Mapのマイイングを介して、KRASおよびNRASのQ61変異を帯びた細胞がSHOC2 遺伝子の喪失に特に敏感であることを示し、SHOC2依存性を明確にした。この感受性の上昇は、KRASまたはNRASのQ61変異が、GTP結合した活性状態での変異タンパク質の蓄積を促進することに一部起因する。研究チームは、この生化学的特性がSMP複合体の組み立てを促進し、より持続的な下流シグナル伝達をもたらすと示唆している [NEWS AND VIEWS Figure 1 参照]。この現象は、Q61変異細胞がSMP複合体の破壊に対してより脆弱であることの根底にあることを示唆している。対照的に、12番目のグリシン残基(G12)の変異などの他の変異は、RASをより一時的にGTP結合状態に置くため、SOS1およびSHP2などのGDP-GTP交換調節因子への依存度が高くなる。したがって、これらの変異を有する細胞は、Q61 変異細胞と比較して、SHOC2 喪失に対する感受性が低くなる。

 すなわち、SHOC2-MRAS-PP1C複合体の構成要素であるSHOC2は、ヌクレオチド状態に依存し、アイソフォームには非依存な、RAS(Q61*)腫瘍の必須因子であることが明らかになった。

 研究チームは、RAS(Q61*) 腫瘍のSHOC2依存性を利用する治療薬を同定するため、61番アミノ酸のグルタミンがアルギニンに変異したNRAS(NRASQ61R)とSHOC2との相互作用を探った。表面プラズモン共鳴により、直接的ではあるが比較的弱い相互作用を検出した。特に、GTP結合型RAS G12変異体ではこの相互作用はさらに弱かった。これは、Q61変異がRASがGTP結合状態になる可能性を高めるだけでなく、SHOC2への結合親和性を本質的に高めることを示唆している。これらの知見に基づき、SHOC2とNRASQ61Rが形成する複合体のX線結晶構造を初めて解明し、SHOC2がMRAS以外のRASファミリーメンバーと直接相互作用できることを確認した。結合モードはSHOC2-MRAS相互作用とほぼ同様で、SHOC2のLRRの凹面がNRASQ61Rのエフェクター結合スイッチ1およびスイッチ2領域と結合する。

 研究チームは次に、RASとSHOC2の結合を阻害する分子を探索した。ハイスループットスクリーニングを用いて、SHOC2とNRASQ61Rの相互作用を選択的に置換する低分子および大型環状分子を同定した。X線結晶構造解析を用いた構造解析により、これらの化合物はSHOC2上の共通ポケットに結合することが明らかになった。SHOC2のLRR表面は比較的平坦であるため、化合物の最適化は困難であったが、反復的な改良を経て、"化合物6"と呼ばれる低分子に辿り着いた。

 研究チームは"化合物6"は細胞内でSHOC2とNRASの相互作用を効果的に阻害し、シグナル伝達経路の下流にある2つのタンパク質、CRAFとERKの活性化を部分的に抑制すること、さらに、NRAS Q61変異を有するメラノーマ細胞の増殖を抑制すること、を確認した。一方で、タンパク質BRAFが変異したがん細胞では活性を示さなかったことから、RAS変異がん細胞対する特異性が強調された。

課題と期待

 同定・作出された化合物が実用的な医薬品候補となるまでには、依然として大きなハードルが残っている。最大の課題は、その効力と選択性の向上である。SHOC2は酵素ではなく足場タンパク質であり、それ自体が問題になる。なぜなら、タンパク質間相互作用を阻害することは、活性触媒部位を標的とすることよりも複雑な反応を伴うためである。これらの薬理学的特性の最適化、効力の判定、安全性の判定と用量の設定などのために、包括的なin vivo前臨床試験が必要になる。

 SHOC2阻害剤単独の効力は現時点では不明確であるが、併用療法におけるSHOC2阻害剤の可能性は特に有望と考えられる。Q61変異によって引き起こされるメラノーマなどの癌において、SHOC2阻害剤はRAS、RAF、MEK、またはERK阻害剤と併用することで、経路の複数の構成要素を同時に標的とする垂直経路阻害によって治療反応を増強・持続させる可能性がある。

[出典]
  • NEWS AND VIEWS "Blocking a key node in cancer signalling unlocks therapeutic potential" Lavoie H, Therrien M. Nature 2025-05-07. https://doi.org/10.1038/d41586-025-01136-6 [著者所属] U de Montréal
  • 論文 "Targeting the SHOC2–RAS interaction in RAS-mutant cancers" Hauseman ZJ, Stauffer F, Beyer KS [..] Ehmke V, Tordella L. Nature 2025-05-07. https://doi.org/10.1038/s41586-025-08931-1 [著者所属] Novartis BioMedical Research (Cambridge; Basel)
[構造情報]
  • PDB 9BTPPDB 9BTM:NRas 1-169 Q61R in Complex with Shoc2 80-582
  • PDB 9BTN:Structure of human SHOC2 in complex with a cyclic peptide
  • PDB 9BTP:Structure of human SHOC2 in complex with a small molecule inhibitor (R)-5 [RCSB PDB構造を右図に引用]
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