アルツハイマー病(AD)は認知症の60~80%を占め、記憶力、認知力、自立性を失わせていく。軽度認知障害が10年ほど続いた後に認知症が発症し、65歳以上の約10%が罹患している。ADには根治的な治療法は無く、脳からアミロイドタンパク質の特徴的な細胞外沈着物を除去し、病状の悪化を遅らせることを目的とした2種類の抗体療法が規制当局によって承認されている。しかし、これらの治療法の効果は限定的で、萎縮の悪化など、脳に深刻な損傷を与える副作用を伴う。そのため、代替となる治療法が緊急に必要とされている。その中で、Harvard Medical SchoolのPaul F. Glenn Center for the Biology of Agingの共同センター長であるBruce A. Yankner教授が率いる研究チームがNature誌刊行論文にて、脳内のリチウム欠乏がADの潜在的な一因であり、従来とは異なる治療標的となる可能性を報告した。
研究チームは今回、リチウムによるADの予防と治療の可能性を示すエビデンスを軽度認知障害やアルツハイマー病のヒトの脳の解析とモデルマウスでの実験から数多く発見した。
- ADの影響を受けた人間の脳の部分では、影響を受けていない部分よりもリチウム濃度が低い。
- ADの前駆症状である軽度認知障害の患者では、脳内のリチウムがアミロイドプラークに閉じ込められ、重要な脳機能に利用できる量が少なくなり、病気が進行するにつれて、この傾向がより強くなる。この症状は、ADのモデルマウスの脳でも再現された。
- リチウム欠乏症の脳を持つマウスは、リチウム濃度が正常なマウスよりも多くのアミロイドプラークを発達させ、これが、ADの壊滅的な進行を象徴する可能性のある悪循環の始まりとなった。脳内のリチウム濃度の減少はアミロイドの増加につながり、それがリチウム濃度のさらなる減少につながる。
- リチウムの減少と、タウ・タンパク質の濃縮やAD関連遺伝子の活性変化といった、ADの他のマーカーとの関連も明らかになった。
- さらに、この悪循環を断ち切る可能性のある方法も特定された。リチウムの臨床試験のほとんどは、炭酸リチウムの形で行われてきたが、アミロイド・プラークがこれを容易に捕捉する一方、オロチン酸リチウムなどの他のリチウムはそれを回避できることが明らかになった。また、マウスに少量のオロチン酸リチウムを投与すると、疾患関連の脳損傷が回復し、マウスの記憶が回復した。炭酸リチウムには同様の効果は見られなかったため、以前の臨床試験で得られた様々な結果を説明する一助となる可能性がある。
- モデルマウスにおいてリチウム投与の安全性も確認された。成体の全期間に渡って投与した場合にも、リチウム関連の毒性は認められなかった。
- リチウムの効果は認知症だけにとどまらない可能性もある。認知機能障害のない被験者を対象とした対照群において、リチウム濃度が最も高かった被験者は、特定の記憶テストで良好な成績を示したことが発見された。
これらのエビデンスから、ヒトでの臨床試験が待たれるが、リチウムで利益を上げられる製薬会社はないという点が多大なコストを要する臨床試験を進める上で障害になる可能性がある。リチウムは天然元素であり、特許を取得することができない。
なお、リチウムは19世紀から20世紀初頭にかけて、気分を変える健康強壮剤として宣伝された。1970年代には、双極性障害のゴールドスタンダード治療薬として注目を集め、現在も、その躁状態と鬱状態の双方の効果がある気分安定薬として処方されている。また、双極性障害の患者において、リチウムを服用している人は服用していない人よりも脳の老化が遅いことも報告されている。疫学研究では、水源に微量のリチウムが含まれている地域では認知症の発生率が比較的低いことが報告されている。
[注] 双極性障害の治療に利用されているリチウムについては副作用があることが指摘されている。例えば、独立行政法人 医薬品医療機器総合機構 Webサイトには次の注意が挙げられている:リチウム中毒は、炭酸リチウムを内服中、あるいは過量 に服用した時に起こることがあり、これを防ぐためには 定期的な血中濃度測定が重要です。炭酸リチウムを服用 していて以下のような症状が出た場合は、自己判断で中止したり放置したりせずに、医師、薬剤師に連絡し、す みやかに受診してください。
[出典]
- NEWS “New hope for Alzheimer’s: lithium supplement reverses memory loss in mice - Studies in rodents and humans suggest that low levels of the metal contribute to cognitive decline.” Peeples L Nature 2025-08-06. https://doi.org/10.1038/d41586-025-02471-4
- NEWS & VIEWS “Does lithium deficiency contribute to Alzheimer’s?” Bush AI. (Florey Neuroscience Institute and Florey Department of Neuroscience and Mental Health/The University of Melbourne. Nature 2025-08-06. https://doi.org/10.1038/d41586-025-02255-w
[研究論文]
- “Lithium deficiency and the onset of Alzheimer’s disease”Aron L [..] Yankner BA Nature 2025-08-06. https://doi.org/10.1038/s41586-025-09335-x [所属機関] Harvard Medical School, Boston Children’s Hospital, Rush Alzheimer’s Disease Center/Rush University Medical Center.
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