背 景
オミクス技術の進歩により、脳に関する詳細な分子アトラスが次々と作成されています。これらは、発生、加齢、疾患の各段階における数百もの異なる細胞型や細胞状態について、トランスクリプトーム、エピゲノム、プロテオームの特性を網羅的に記録したものです [Neuropsychopharmacology 2021; Neuron 2025; Nat Commun 2025]。
こうしたアトラスは、脳の構成を理解するための不可欠な基盤となり、大きな変革をもたらしました。しかし、今後の重要な課題は、こうした記述的なマップから機能的なマップへと移行することにあります。つまり、多様な細胞型において各遺伝子がどのような機能を果たしているか、そして生体内で各遺伝子が細胞の表現型とどのような因果関係にあるかを明らかにすることです。
機能的マップ形成における課題
機能的マップの形成は、神経変性疾患の分野において特に喫緊のものです。ゲノムワイド関連解析(GWAS)やトランスクリプトーム解析により、アルツハイマー病、パーキンソン病(PD)、筋萎縮性側索硬化症、および関連疾患に関連する数千もの遺伝子変異や発現変動が特定されてきましたが、その大部分については、依然としてメカニズムは未解明のままです。
さらに、これらの疾患は特定の神経細胞集団が選択的に脆弱性を示す(すなわち、疾患ごとに特徴的なパターンで特定のサブタイプが変性する)という点に特徴がありますが、こうした細胞型特異的な感受性の分子基盤は、依然としてほとんど分かっていません。
加えて、神経変性の最大のリスク因子である加齢は、神経細胞のトランスクリプトーム、代謝、ストレス応答を進行性に変化させますが、加齢に伴う変化が遺伝的リスクとどのように相互作用して神経細胞の脆弱性を決定づけるのかについては、ほとんど解明されていません。したがって、細胞型や生涯にわたる神経細胞の脆弱性を規定する遺伝的要因を解明することは、神経変性のメカニズムを理解し、治療法の開発を推進する上で不可欠な基盤となります。
戦 略:in vitroからin vivoへ
CRISPRを用いたプール型機能ゲノミクススクリーニングは、大規模かつ体系的に遺伝子機能を解析する能力を劇的に向上させました。神経疾患の分野では、ヒト人工多能性幹細胞(iPSC)由来の神経細胞を用いたこうしたスクリーニングが成功を収めており、必須遺伝子や [#1, 2]、神経毒性を持つタンパク質凝集の修飾因子 [#3, 4, 5]、さらには神経細胞のストレス応答の制御因子 [#6] などが特定されています。
これらのin vitroプラットフォームは重要な知見をもたらしてきましたが、細胞培養という人工的な環境に起因する根本的な制約を抱えています。培養皿で育成される神経細胞は、細胞の生理機能をバッファリングし、生理的に重要な遺伝子依存性を覆い隠してしまう可能性のある、成分を豊富に添加した培地で維持されているためです。さらに、in vitroの系では、神経細胞サブタイプの多様性や、グリア細胞や神経血管系からの非細胞自律的なシグナルの影響を完全に再現することはできません。加えて、細胞培養では、神経変性疾患の主要な要因である「加齢」の過程を忠実にモデル化することも困難です。
こうした限界を克服する魅力的な戦略として、哺乳類の脳内で直接、プール型遺伝学的スクリーニングを行う手法が挙げられます。マウスの脳内でのin vivoスクリーニングの実現可能性は近年の研究で示されていますが、様々な神経細胞のタイプや年齢層を対象とし、in vivoにおける神経細胞の遺伝的依存性の包括的なマップ作成を可能にするような、体系的なゲノムワイド・スクリーニングは未だ実施されていません。
研究手法
今回、南方科技大学のTian Rulin助教が率いる研究チームは、マウス脳内で直接、遺伝子機能を細胞型ごとに体系的に解析できるin vivo CRISPRiスクリーニングプラットフォームを確立しました。
質の高いスクリーニングを行うには、十分な細胞を標的範囲に含めることが不可欠です。柔軟な投与経路を用いて脳全体へ効率的にsgRNAを導入するため、中枢神経系への効率的な形質導入能と血液脳関門(BBB)通過能を持つことで知られるAAV(アデノ随伴ウイルス)の血清型「PHP.eB」[#8] を採用しました。
さらに、Cre依存性DIO-sgRNAベクター、LoxP-Stop-LoxP(LSL)配列で制御された条件付きLSL-CRISPRiマウス、そして細胞型特異的Creドライバーマウスを組み合わせることで、若年成体期から高齢期に至る3つの時点において、4つの神経細胞集団を対象としたゲノムワイドなスクリーニングを実現しました。
主要な結果
マウスの生体脳内ゲノムワイドCRISPRiスクリーンから、細胞型特異的な遺伝的脆弱性、さらには加齢特異的な依存性を示す遺伝子経路の特定が見えてきました。
こうした知見は、哺乳類の脳における機能的ゲノミクスや、神経変性疾患(アルツハイマー病やALSなど)の選択的脆弱性を紐解くアトラスを構築するための情報基盤として、「CRISPRinvivo」データポータルから公開しています [下図はそのトップページとガイドの冒頭のスクリンショット(クリックすると拡大表示されます)]。
出 典
"Mapping cell-type- and age-dependent neuronal vulnerability through genome-wide in vivo CRISPRi screens in the mouse brain" Risheng Lin(1,2) [..] Ruilin Tian(1,2,3). Neuron 2026-09-09. https://doi.org/10.1016/j.neuron.2026.08.006;グラフィカルアブストラクト
- SUSTech Homeostatic Medicine Institute, School of Medicine, Southern University of Science and Technology, Shenzhen, 518055, China
- Key University Laboratory of Metabolism and Health of Guangdong, Southern University of Science and Technology, Shenzhen, 518055, China
- Lead contact
[#] 参考・関連crisp_bio記事と論文
- 「CRISPRiに基づくヒトiPSC由来ニューロンにおけるマルチモーダル遺伝的スクリーニング」crisp_bio 2019-08-18;CRISPR Interference-Based Platform for Multimodal Genetic Screens in Human iPSC-Derived Neurons
- 「レビュー:ヒト多能性幹細胞から分化させた細胞を対象とするCRISPRシステムをベースとする機能ゲノミクス」crisp_bio 2023-04-28;CRISPR-based functional genomics screening in human-pluripotent-stem-cell-derived cell types
- 「ヒトiPS細胞由来ニューロンにおけるCRISPRiスクリーニングを介して, タウオリゴマー蓄積の修飾因子を同定」crisp_bio 2026-02-02/2026-03-06更新;CRISPR screens in iPSC-derived neurons reveal principles of tau proteostasis
- 「ヒトiPSC由来の大脳皮質神経細胞を対象とするキノーム・ワイドのCRISPRiスクリーニングを介して、C9orf72毒性の新規疾患修飾因子を同定」crisp_bio 2022-09-04;CRISPR/Cas9 screen in human iPSC-derived cortical neurons identifies NEK6 as a novel disease modifier of C9orf72 poly(PR) toxicity
- 「PTPσ-mediated PI3P regulation modulates neurodegeneration in C9ORF72-ALS/FTD」Zhang Z ∙ Fu X ∙ Wright N et al., Neuron 2025-03-11/04-16.
- 「Genome-wide CRISPRi/a screens in human neurons link lysosomal failure to ferroptosis」Tian R ∙ Abarientos A ∙ Hong J et al., Nat Neurosci. 2021-05-24/Jul.
- 「【CRISPRi×CaMPARI2】カルシウムシグナル統合型スクリーニングで神経興奮性の修飾因子を同定 — ASDやAD関連の新規遺伝子も発見」crisp_bio 2024-03-07/2026-09-09更新 ;A Massively Parallel CRISPR-Based Screening Platform for Modifiers of Neuronal Deplolarization
- 「Engineered AAVs for efficient noninvasive gene delivery to the central and peripheral nervous systems」Chan KY ∙ Jang MJ ∙ Yoo BB et al., Nat Neurosci 2017-06-26/Aug

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