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Nature 誌の記事は、シングルセル・プロテオミクス(single-cell proteomics, SCP)分野の発展を、当該分野の主要研究者への取材をベースに概観し、記事タイトル"Probing the proteome at cellular scale."には「急速な技術の進歩により、研究者は個々の細胞内の数千ものタンパク質を特定できるようになり、発生や疾患の根底にある隠されたメカニズムが明らかになりつつあります。」という副題が添えられています。

キーポイント
  • 増幅不可能なタンパク質を1細胞レベルで解析するSCPはかつて「SFの世界の話」と言われていました。

  • 化学標識と微小液滴技術や、質量分析(MS)装置の進化により、SCPは、1細胞から数千のタンパク質を検出可能になるまでになりました。

  • SCPによって、発生、がん免疫、空間解析など、遺伝子・RNA解析だけでは見えなかった疾患・生命の謎が解かれ始めています。
詳 細

近年、シングルセルのゲノミクス、そして、トランスクリプトミクスの研究が急速に発展してきました。しかし、ゲノムとトランスクリプトームのプロファイルからは必ずしも、細胞の状態と振る舞いを直接定義するプロテオーム(タンパク質総体)のプロファイルを予測できないことから、単一細胞のプロテオームを捉えるSCPが夢見られていました。

ほんの数年前まで「SCPはSF(サイエンスフィクション)の世界の話だ」と多くのタンパク質研究者は考えていました。マックス・プランク生化学研究所のプロテオミクス研究者、Matthias Mann博士は「私は『生きている間には無理だろう』と公言していたほどです」と振り返っています。Mann氏は今やSCPの熱心な実践者であり、肝疾患からアルツハイマー病に至るまで、さまざまな病気の研究にこの手法を用いています。

なぜSCPは「SFの世界の話だ」と言われていたのか?

従来のプロテオミクスは、数万〜数百万個の細胞をまとめて破砕し質量分析(MS)などで解析する「バルク解析」が主流でした。そのため、個々の細胞におけるプロテオームの不均一性(heterogeneity)や発生・病態における個々の細胞の役割を捉えることはできませんでした。

なぜ、プロテオームでは、ゲノムやトランスクリプトームのようなシングルセル解析が進展して来なかったのでしょうか。

プロテオミクスのシングルセル化にはゲノミクスやトランスクリプトミクスには無い技術的な難題があったのです。
  • タンパク質は増幅できない(コピーできない):遺伝子やmRNAはPCRなどで分子数を桁違いに増幅できますが、タンパク質を直接増幅する手段はありません。そのため、1つの細胞に含まれるわずか数百ピコグラム(pg)という極微量のタンパク質を読み取る必要がありました。
  • バルク解析用に最適化された調整法によるサンプル・ロス:従来のMS向けのサンプル調整法は、数万〜数百万個の細胞の破砕を前提としたバルク解析に向けて最適化されていました。この手法をそのまま単一細胞に適用すると、調整機器の壁面にタンパク質が吸着してしまい、測定器まで届かないという致命的問題がありました。極微量のタンパク質を読み取る技術として高感度質量分析が登場したものの、サンプル調整がバルク解析に向けて最適化されたまた、シングルセルレベルへの展開が進まなかったのです。
SFから現実への技術的ブレイクスルーの第一歩

2018年頃に達成されたSCPの決定的な第一歩には、化学標識を含む複数のアプローチが存在します。
  • 化学標識アプローチ:ノースイースタン大学のNikolai Slavov博士らがSCoPE-MS(Single Cell ProtEomics by Mass Spectrometry)と呼ばれる試料調製および解析のワークフローを開発しました。この手法では、対象となる個々の細胞内のタンパク質を化学的に標識し (Label with TMT)、過剰な標識済み「キャリア細胞(Carriers)」と混合*します。[* Genome Biology誌掲載論文のFigure 1の一部引用下図参照]
    SCoPE-MS
    これにより、標的細胞からのタンパク質の損失が抑えられ、タンパク質の同定が容易になり、8つの個々の細胞全体で1,500種類以上のタンパク質を検出することが可能になりました。「実質的に、感度を約2桁向上させることができました」とSlavov氏は言います。
  • 物理的微量調製アプローチ:同年、ブリガムヤング大学の生化学者Ryan Kelly博士らが標識を用いず、ナノリットル単位の極微小液滴内でサンプル処理を行うnanoPOTS (nanodroplet processing in one pot for trace samples) などのチップ技術を開発し、壁面への付着損失を防ぐことで単一細胞から670種類のタンパク質検出に成功しました。
その後の発展
  • アカデミアの研究チームやCellenion社(Scienion)といった民間企業が、1細胞あたり数千種類のタンパク質の検出を可能にし、また、サンプル調整のスループット、再現性、精度の向上も進みました。
  • 同時に質量分析装置もサーモフィッシャーサイエンティフィック社の「Orbitrap Astral」や、Bruker社の「timsTOF Ultra」シリーズなど、感度と精度も向上しました。
現在のボトルネットは?
  • スループット:ほとんどのSCPパイプラインは1日あたり数百細胞にとどまり、トランスクリプトミクスより桁違いに遅いのが現状です。これは主に、MS解析前に細胞由来のペプチドをサイズ分離する必要があることに起因し、高速化と感度がトレードオフの関係にあります。
  • 多重化による解決は?:個々の細胞を識別できるように標識(ラベル)を施すことで、処理や解析のために細胞を混合した後でも、それぞれの細胞由来のデータを区別できるようにするプール型の手法による多重化が試みられています。Parallel Squared Technology Instituteによって27重(27-plex)まで実現されていますが、細胞標識とペプチドの同定率がトレードオフの関係にあります。
  • 感 度:Kelly氏は、細胞内の多様性を捉えるには約12,000種類のタンパク質カバレッジが必要と推定し、「1,000種類を検出すると言っても、それは最も存在量の多い1,000種類に過ぎない」ため、「残りの発見には感度のさらなる飛躍的向上が必要」としています。また、リン酸化など翻訳後修飾を受けたタンパク質はプロテオーム全体の1%未満(台湾Academia Sinicaの質量分析学者Yu-Ju Chen博士推定)で、現行のMSワークフローでの識別は依然困難です。
SCPは依然としてコストが高く、複雑な実験系である

ブレークスルーを経て現実になってSCPですが、依然としてコストが高く、サンプル調製・クロマトグラフィー・MSの各段階で失敗しうる複雑な実験系です。 Mechtler氏は「何かが間違っていると、完全に失敗し、原因も分からないことがある」と述べています。

しかし、さまざまな生物学な謎が
SCPで解かれ、解かれようとしています
  1. 発生生物学 (Cell, 2025):Slavov・Zernicka-Goetz (Caltech)・Chou (Caltech) . マウス受精卵の最初の2つの細胞(alphaとbeta)が既にタンパク質レベルで異なる運命を持つことを実証。beta細胞は健常胚になりやすく、alpha細胞は胚体外組織になりやすいという違いが受精直後から存在し、この段階ではゲノムは転写されておらず、多くのタンパク質は母由来(継承されたもの)であることを示しました。
  2. 心血管疾患(bioRxiv, 2026):シーダーズ・サイナイ医療センターの臨床プロテオミクス研究者Jennifer Van Eyk博士のチームは、幹細胞由来心筋細胞に2種類の薬剤を投与し、サブタイプごとに著しく異なる反応・用量感受性を発見。「臨床試験で患者が反応しない場合、薬が標的経路に効いていないのか、標的細胞のプロテオーム状態が違うのかを区別できる」としています。
  3. がん免疫(Nat Methods, 2025):ウィーンの分子病理学研究所(IMP)のプロテオミクス研究者Karl Mechtler博士らは膠芽腫患者の免疫細胞をSCPでプロファイリングし、腫瘍促進/抑制に働く明確なサブタイプを同定。これらは既存タンパク質の活性化状態に由来する機能的差異であり、トランスクリプトーム解析では見えないものでした。
  4. 空間プロテオミクス:Mannの"Deep Visual Proteomics"戦略は(Nat Biotechnol, 2022)、レーザー微細切除とAIによる細胞セグメンテーションを組み合わせることで、空間情報を保持したまま単一細胞プロテオームを取得。2024年に中毒性表皮壊死症(toxic epidermal necrolysis)の原因細胞・原因分子を特定し、既存薬の再利用による治療法確立につなげました(Nature, 2024)。
  5. リン酸化プロテオーム:Chen・Hsiung-Lin Tu(Academia Sinica)は自らサンプル調製の全工程をコンパクトなマイクロ流体デバイスに統合したSciProChipをリン酸化ペプチド特異的検出用に改良し、がんにおけるリン酸化変化から創薬標的を同定し(Nat Commun, 2022)、個別化医療への応用を模索中。
crisp_bioメモ
出 典
TECHNOLOGY FEATURE "Probing the proteome at cellular scale." Michael Eisenstein. Nature 2026-09-07/09-14修正. https://doi.org/10.1038/d41586-026-02805-w
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